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「見守る」って、何もしないことだろうか?

9月2日
読了時間: 5分

けーちの夏休みも終わり9月から、2学期最初の運動あそびもスタートしています。

1学期は、一つの道具を使って遊ぶ「単体あそび」を中心にしてきました。

そして2学期からは、少し発展。

「道具と道具を組み合わせて遊ぶ」

ということを取り入れていきます。

今日使ったのは、ピンポン球とプールヌードル。

プールヌードルを短く切って、真ん中に穴の空いた「ちくわ」のような形にしたものです。 ちなみに、「ちくわ」は子どもたちが名付けてくれました(笑)

まずはピンポン球だけで遊びます。

投げたり、転がしたり。

「どんな音がする?」

壁に当ててみたり、

「みんなで花火を打ち上げよう!」

と、一斉に上へ飛ばしてみたり。

まずは、ピンポン球という素材の性質を身体で感じてもらいます。

そして途中から「ちくわ」を追加。


ここからは、

「ピンポン球1個+ちくわ1個」

という条件だけ。

遊び方は自由です。


「自分が楽しいと思う遊び、ワクワクする遊びを考えてみよう!」

あとは子どもたちに任せます。


実は、先生にも仕掛けています(笑)

最近の運動あそびでは、子どもたちだけでなく、先生方にも小さな「仕掛け」をつくっています。

メインで使う道具とは別に、

「これがあったら、遊びがもう一段発展するかもしれないな」

というアイテムを、あそび環境の中にシレーっと置いています(笑)。


先生方には、

「このアイテムも使ってください」

とは言いません。

使ってもいい。

使わなくてもいい。

子どもたちの様子を見ながら、先生自身に判断してもらいます。

毎回複数のクラスで行うのですが、これが面白い。

先生によって対応が全然違います。


「つい使ってしまいました……」

今回、あるクラスでは、一人の先生がそのアイテムを積極的に使っていました。

そして活動後の振り返り。

その先生から、こんな言葉が出ました。

「本当は子どもたちの自発的な遊びを見たかったんですけど、ついアイテムを使ってしまいました……(汗)」

詳しく聞いてみると、

本来の「ピンポン球とちくわで遊ぶ」というところから、少し離れていきそうな子どもに対して、遊びを発展させるためのアイテムを提示したとのこと。

先生自身は、それを少しネガティブに捉えていました。

「もう少し見守ったほうがよかったのかな」

という感覚です。

でも僕は、

「それ、悪いことじゃないと思いますよ」

と伝えました。


「見守る=何もしない」ではない

子どもの主体性を大切にしよう。

自発的な遊びを大切にしよう。

そう考えるほど、大人が働きかけることに慎重になります。

もちろん、それはとても大切なことです。

大人が先回りして、

「こうやって遊んでみたら?」

「次はこれをやってみよう!」

と全部提案してしまえば、子どもが自分で発見する余白はなくなってしまいます。

だから「待つ」ことは大切。

でも一方で、

見守ることが、いつの間にか「何もしないこと」になってはいないだろうか?

とも思います。


言葉で動かすのではなく、環境を変えてみる

例えば、子どもがこちらの意図とは違う方向へ行き始めたとします。

そんなとき、

「それは違うよ」

「今日はこっちをやろう」

「ちゃんとこれで遊ぼう」

と言葉で行動を戻すこともできます。


でも、もう一つ方法があります。


環境を少し変えてみる。


新しい道具をそっと置いてみる。

遊び方を一つだけ提案してみる。

子どもが再び遊びに入りたくなるような「きっかけ」をつくってみる。

もちろん、それを使うかどうかは子ども次第。

大人が子どもの行動を直接コントロールするのではなく、


環境を再構成することで、子どもの選択肢を増やす。


これも立派な関わり方だと思っています。

特に、声を荒らげたり、叱ったりして子どもの行動を変えようとする代わりに、環境を見直すことができるなら、とても健全な方法ではないでしょうか。


大切なのは「介入しないこと」ではない

だから今回、その先生に伝えたかったのは、


提案することや環境を変えることは、決して悪ではない。


ということでした。


大切なのは、

「見守るのが正解」

「介入するのは不正解」

と二つに分けることではありません。


今は待ったほうがいいのか。

ちょっとしたきっかけが必要なのか。

一緒に遊んだほうがいいのか。

環境を変えたほうがいいのか。

それとも、あえて何もしないほうがいいのか。


目の前の子どもの状態を見ながら、その都度判断する。


そこに保育者や指導者の専門性があるのだと思います。


先生にも「選べる環境」を

そして今回の振り返りをしながら、もう一つ面白いことに気づきました。

僕が子どもたちにやっていることと、先生方にやっていること。

実は、よく似ています。

子どもには、

「これを使って、こう遊びなさい」

とは言わず、素材を用意する。


先生にも、

「このアイテムを使って、こう発展させてください」

とは言わず、シレーっと置いておく(笑)。

使ってもいい。使わなくてもいい。

そして、自分で判断する。

子どもの主体性を大切にしたいのなら、

もしかすると、そこに関わる大人にも「自分で考えて選べる余白」が必要なのかもしれません。


「見守る」と「働きかける」の間で

今回、僕が一番いいなと思ったのは、

その先生が、

「使ってしまった……」

と振り返ったことでした。

そこには、

「もう少し待ったほうがよかったかな?」

という葛藤があります。

でも、その葛藤こそ大切なのではないでしょうか。

何も考えずに介入するのではなく、

待つのか。働きかけるのか。

その間で迷い、子どもの姿を見ながら判断する。


目指したいのは、

「介入しない先生」ではなく、「介入するかどうかを選べる先生」。

なのかもしれません。


「見守る」とは、何もしないことではない。

子どもをよく観て、

待つのか。

提案するのか。

環境を変えるのか。

一緒に遊ぶのか。

その瞬間に必要な関わりを選び続けること。


そして僕自身も、


「今、この子に必要なのは何だろう?」


と考え続けられる指導者でありたいと思います。

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