「ラッキー」という言葉
更新日:13 時間前
さて皆さん、「ラッキー」という言葉、どんな場面で使うでしょうか??

例えば、
欲しかったものが偶然手に入ったとき。
雨が降る前に家へ帰れたとき。
くじが当たったとき。
これってどれも、自分にとってうれしい出来事が起きたときに使っていますよね。
では、スポーツやサッカーの場面ではどうでしょう。
相手のミスによって、自分たちにボールが転がってきた。
相手のシュートが外れ、自分たちがピンチを逃れた。
思いがけず、自分たちにとって有利な展開になった。
そんな瞬間、聞こえてきそうな言葉、
「ラッキー!」
です。
昨日のスキップ練習会でも、試合中にこの言葉が聞こえてきました。
その場では、子どもたちに何も伝えませんでしたが、家に帰ってからも、なぜかその言葉が心に引っかかっていて...
「自分は、何に違和感を覚えたのだろう?」
改めて深く考えました。
そして気づきました。
同じ「ラッキー」でも、そこには大きな違いがあることに
ー自分の幸運か、相手の失敗か
くじが当たって「ラッキー」と言う。
これは、自分に起きた幸運を喜んでいます。
しかし、スポーツの中で相手が失敗したときに発する「ラッキー」は、その向こう側に、失敗した相手がいます。
言った本人に、相手を傷つけようという気持ちはないと思います。
「自分たちのボールになった」
「チャンスが来た」
そんな意味で、何気なく使っている「ラッキー」。
けれど、失敗した相手からすれば、自分の失敗を目の前で喜ばれたようにも感じます。
「ラッキー」という言葉そのものが、悪いわけではありません。
僕が引っかかったのは、その言葉が誰に、何に向けられていたのか?ということでした。
言葉が、その人の見方をつくっていく
僕たちは、心に思ったことを言葉にします。
しかし、反対の流れもあるのではないでしょうか。
普段から使っている言葉によって、物事の見方や、心の向きが少しずつつくられていく。
相手が失敗するたびに「ラッキー」と言っていると、
「相手の失敗は、自分にとって喜ぶべきこと」
という捉え方が、知らないうちに当たり前になっていくかもしれません。
悪意があるから、その言葉を使うとは限りません。
むしろ厄介なのは、本人に悪口を言っている自覚がほとんどないことです。
だからこそ、子どもたちの言葉について考えることは、単なる言葉遣いの指導ではありません。
どのような心で相手と向き合う人になってほしいのか。
そこまでつながっているのだと思います。
ーこの言葉は、どこから来たのだろう
今回、「ラッキー」という言葉について考えていると、昔の記憶がよみがえってきました。
僕が子どもの頃、父親と一緒に野球中継を見ていたときのことです。
相手チームがエラーをした。
四球で塁に出た。
打ち取られたような打球が、偶然ヒットになった。
そんな場面で父親が、
「ラッキー!」
と言っていたように思います。
昭和の日本では、スポーツといえば、まず野球でした。
テレビをつければ野球中継が流れ、家庭の中にも野球の言葉や価値観が自然と入ってきました。
相手の失敗によって自分たちが得をしたときに、「ラッキー」と表現する。
僕自身も、そうした文化の中でこの言葉を覚えてきたのかもしれません。
そう考えると、これは今の子どもたちだけの問題ではありません。
我々大人が使ってきた言葉や、その時代のスポーツ文化が、形を変えながら子どもたちに受け継がれているとも言えます。
ー令和の子どもたちは
今の子どもたちは、テレビだけでなく、動画、ゲーム、SNS、友達同士の会話からも、たくさんの言葉を受け取っています。
言葉は、誰かに教えられて覚えるものばかりではありません。
何度も耳にした言葉を、意味を深く考えないまま使い始め、いつの間にか自分の言葉にしていきます。
ゲームや動画の中で軽く使われている、
「はい、終わり」
「弱っ」
「雑魚」
「ラッキー」
という言葉も、同じなのかもしれません。
これも現場でよく聞こえてくる言葉たちですね。
子どもたちの言葉には、その子の心だけでなく、その子を取り巻く時代や文化も表れています。
禁止するだけでは、心は育たない
だからといって、
「これからラッキーと言うのは禁止です」
と伝えるだけでは、少し違う気がします。
言葉だけを止めても、その言葉が生まれた心の向きまでは変わらないからです。
大切なのは、子どもたちと一緒に考えることです。
今の「ラッキー」は、自分に起きた幸運を喜んだ言葉だったのか。
それとも、相手の失敗を喜んだ言葉になっていなかったか。
もし自分が失敗したとき、相手から大きな声で「ラッキー」と言われたら、どんな気持ちになるだろう。
そこを考える機会をつくりたいと思います。
ー幼稚園の子どもたちが出していた声
けーちは20年近く幼稚園でサッカー指導をしていますが、子どもたちの日常にこんなシーンがよくあります。
「がんばれー!」
「いけー!」
「大丈夫!」
「もう一回!」
誰かに教えられたわけでもないのに、一生懸命ボールを追いかけ走っている友達に向かって、応援の声を出してくれます。
サッカーのルールや、その日に練習したことは、大人になる頃には忘れているかもしれません。
けれど、仲間を応援する声まで、成長する中で失ってほしくありません。
相手の失敗を喜ぶ声ではなく、仲間の挑戦を支える声。
相手を下げることで自分を上げる言葉ではなく、自分も相手も前を向ける言葉。
子どもたちに「ラッキーと言うな」と教えたいわけではありません。
自分が今から発しようとしている言葉は、誰に向いているのか。
その言葉を受け取った人は、どんな気持ちになるのか。
そこに少しだけ心を向けられる人になってほしいのです。
そして、それを子どもたちに伝える前に、僕自身も考えなければなりません。
普段、どんな言葉を使っているだろう。
その言葉によって、どんな心を育てているだろう。
言葉は、心から生まれます。
同時に、毎日使う言葉が、その人の心を少しずつつくっていくのだと思います。
今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございます☆
けーち





